2edff8d7b6523afa22feae840e7d201c_s

昔、と言っても12〜3年前。

今は高校に行ってる娘が、幼稚園の頃にあったこと。

 

その日は雨が降っていて、娘と一緒に傘をさして幼稚園に行った時、まだ早すぎて門が閉まっていた。

門が開いたら娘を幼稚園に預け、自分は健匠館(職場)に向かう、いつも通りの予定で。

 

その時、後から園児を連れたどこかの母親が、自分で門の横にある通用口から中に入り、中で雨宿りを始めた。

この野郎! 傘をたたんで気楽そうに、雨の当たらない所で待っているじゃないか!

 

私はその時「この野郎!」と考えている、自分の考えに気がついた訳です。

なんで俺は、起こっているんだ?」と。

 

つまりは、

自分もそこに行きたい。

でも自分は「我慢をして」行かずに門の前に立っている。

なのに何故、お前だけが我慢をせずに、中に入ることを許されるんだ!

と、怒っていたわけです。

 

それに気づいたら、「俺は中に入りたいのか?」と問いかけても、「俺は決まり通り、門が開くのを待った方が良い」という考えに気づきました。

自分は何も考えず中に入った親子が、ただ羨ましかった訳です。

 

こんな事が、「気持ちを持つ理由」を考えるキッカケになり、「何故自分はこんな事考えているんだ?」と考える習慣が付きました。

因みに、今現在も考え続けています。

 

あなたの悩み、お聞かせください。

きっとここで、解決出来ると思います。

 

ご相談はコチラ